フランス住まいの私がつづる暮らしの気づきについて

等身大のフランス暮らし

調理師としてのキャリア

交通事故で生死を彷徨い、悔いを残したくない、と生き方を決断した出来事の話【衝撃的表現注意】

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私が21歳の時のことです。

自分は料理人になろうと思い始めて、一生懸命仕事をしていました。

 

激務でも、楽しく頑張っていました。

週1日しかないお休みの日に、一緒に働いていた上司と、アルバイトの女性と

私の3人で「ドライブして新しくできたレストランに勉強がてら食べに行こう!!」

ということになり、待ち合わせをしてアルバイト女性の車で乗り合わせて出発しました。

 

私は助手席、女性が運転 上司の男性は後座席で、約1時間半の道のりです。

行きはワイワイ話も盛り上がり、いろんなことを話しながらあっという間に目的地に到着。

 

事故が起きる前

みんなで感想を語りながら、ご当地お土産屋さんなどに行き「帰ろっか?」

と、15時半ぐらいだったと思います。

 

男性上司が帰りは「運転してあげるよ」と、みんなで席を変わろうとしたとき、

「私は行きが助手席だから、後部座席に乗ります。」と上司にいいましたが

上司は私が助手席にいたほうが良いということで、女性アルバイトが後ろに乗りました。

 

車を走らせて、しばらくすると眠気が襲ってきて、私はぐっすり助手席で眠ってしまいました。

 

事故が起きたとき

なんだか、起きなければ?とふと目を開けたとき、何もかもがメチャメチャになっていました。

頭の上からバケツをひっくり返したような大量の血が流てきます。

私「何が起こったの?」と思わず手で頭を押さえました。

 

そして、運転手の上司を見ると、鼻が折れているみたいで、真ん中ぐらいのところから

血がピューピューと出ていました。

上司は気を失っていました。

 

うしろから、女性アルバイト

が「まきちゃん大丈夫?」と私に話しかけてくれました。

私は「い・・いや大丈夫じゃないかも?」と後ろを見たくても体が動かず、

そのまま目をつぶり、頭の中で「全部の指動くかなあ?」と一本ずつ力を入れて言っている間に気を失いました。

 

事故した場所は、左側が崖、下は海、右側は山の狭い2車線でカーブを曲がる時に

反対方向にはみ出し、対向車の車と正面衝突でした。

 

大変な交通渋滞になったらしいです。ほかの車の人が後部座席の意識がある女の子を

とりあえず車から出して、救助しようとみんなが協力して助けてくれたみたいです。

 

わたしと、上司は助けることが困難だったのでそのままでした。

 

田舎道で、救急車が到着するまでに30分以上かかったそうです。

 

 

病院に到着

病院に到着しても私は意識がない状態でした。

でも、今でもはっきりと覚えていることが、自分が横たわっている姿を上から見てました。

「どんな顔してるんだろう」と、自分の顔を見ようとしたとき、

見れないまままた意識がなくなりました。

 

それから集中治療室に入り、2日間血圧が安定せず危険な状態が続きました。

 

家族に警察が電話をしたとき、私の弟が電話を受けたらしく、「お嬢さんが危険な状態ですので病院まできてください」と聞いたとたん、弟はパニック状態になったらしいです。

 

叫びながら、一回と二回を上り下り「ねーちゃんが!ねーちゃんが!」と。

親が、「ねーちゃんがどうしたん?」弟「@%#$~“!!」と、何を言ってるのかわからない状態だったらしいです。

私も、きっと逆の立場なら、パニックになっていたかもしれません。

 

 

 

親が病院に到着

1時間半かけて家族も病院に到着しましたが、代表一人だけしか入れないという事で、

おじいちゃんが入ったらしいです。

 

私は全く覚えていません。

 

2日たった後、目を覚ましました。奇跡だったそうです。。。

看護婦さんが喜んでいました。

私に「悪いけど、あなたが運ばれてきたときこの子はもう無理かもしれないと思ったぐらい損傷がひどかったの。」と。

 

いっときして母が来ました。泣いてました。私は話すことができなくて体も動かず、ただただ母の目を見ているだけでした。

2日間危なかったんだよ。と。みんなで仏壇の前で祈ってくれたらしいです。

 

入院生活

血圧も安定し、集中治療室から病室に移りました。

結局運転手上司は、鼻骨折、肺がシートベルトのせいで損傷、ひざと3針縫う怪我で、

アルバイト女性は足の甲を9針縫う怪我でした。

 

私は、内臓損傷、右手完全に骨折,前歯折れ、唇の下6針縫い、額から頭部耳の後ろまで

20センチぐらいパックリ割れてしまったので、67針先生が丁寧に縫ってくださったそうです。

 

2週間ぐらいは、ベットの上で身動きとれず、ずっと上を見ている感じでした。

食事も自分ではとれず、栄養を送る管を使っていました。もちろんトイレも管です。

 

4週間目に入った頃自分で起きるリハビリが始まりました。

なんと!!

 

歩くことを忘れているんです!!

 

 

 

人間ってすごいなあって思いました。足が前にいかないのです。

「あれ?!」と看護婦さんをみて、母もいました。

ゆっくりゆっくり足をずらせていき、ズリズリ進むことができました。

 

毎日練習し、今度は向きを変える事。これが、簡単そうで難しいのです。

回転させると、頭の中がグルグル回り、ゆっくりしないとこけてしまいます。

ゆっくりゆっくりリハビリをして、移動は車椅子でした。

 

これは、本当にびっくりしたことでした。事故した瞬間「私歩けないかも?」

と思っていたので、日に日に歩けるようになり何でもないことが

嬉しく思えたりしました。

 

頭や、顔の包帯を外したところを最初の看護婦さんがみたとき、「あなたの目が開いているところ見れてうれしい」と。

事故当時から顔が晴れ上がって目もつぶれていましたから。。。

 

食事も左手で食べることができるようになり、自宅から近い病院に救急車で移動しました。

 

2番目の病院

移動先の病院では、看護婦や医師がびっくりするほどの速い回復ぶりで、

「1番目の病院から重体患者ですのでお願いします」と言われたことが嘘みたいと。

 

元々体は丈夫で滅多に風もひかないタイプだったのと、食事をモリモリ食べることが

よかったのかな?

 

ある夜、頭が痛くて寝ていると、足首を誰かに引っ張られた感じがあり、

引いていかれそうになりました。

しかし、朝起きてみると引っ張られた先は壁で夢でも見たのかな?

と思いましたが、足首に感覚があったので、きっと誰かが私を別の世界に連れて行こうとしたのかもしれません。

 

その後に回復し、自宅治療に変えてもらいました。

 

 

自宅治療

自分の家で病院と同じように過ごすのですが、

事故する前に洋食料理人のスタート地点と言われているオムレツがちょうど出来始めていた頃でした。

私は右手にギブスをしながらオムレツを作ってみました。

 

「トントントン」「いてーーー!!」

そうなんです。やっぱり骨がくっついていないので、トントンしたらヒビキました。アホです。

それでも骨がくっついた頃から何度も作りました。家族からは「もう、飽きた」と

言われても できるまで続けました。

 

顔の縫った部分の2回目治療をしました。みみずのように腫れている縫い跡を

もう一度キレイに目立たないように縫い返しました。

事故したときは大怪我だったのに、全く痛みがなかったのですが、今回はかなり痛かったです。

ぱっと見は縫い目が見えませんが、50センチ範囲内に来ると見えます。

額と頭の方も髪の毛で隠さなければ、塗ったあとが見えます。

 

髪の毛を後ろで縛ると、縫った部分だけ髪の毛が生えてきませんので、少しですが

ハゲちゃんです。「言われなければ気づかないよ」と言ってくれる人が多いですけどね。

最初は気にしていましたが、だんだん生きているだけでも良いこと、歩けるだけでも良いこと。と思えるようになりました。

 

 

その後

迷惑をかけた働いていたお店に復活し、人間いつ死ぬかわからないと自覚をした自分は

悔いのないように、自分のやりたいことをやらなければ!!と、

戦闘心が燃え、がむしゃらに頑張りました。

その後、フレンチのシェフになる!と決めて、朝から夜中ほとんど寝ずに

お金を貯めてフランスに渡仏し現地のお店で頑張って認めてもらい、運命の出会いもあり、

日本とフランスを行き来しながら、自分たちの夢を叶えました。

 

 

事故した時には、もしかしたら「子供が産めないかもしれない」と

言われていました。原因不明の出血があったからです。

 

母も心配していましたが、まー私は結婚する気も子供を産む気もなかったので

深く考えていませんでした。

 

ですが、運命で結婚し、子供ができ、今のところ問題なく無事に育っています。

 

まとめ

事故の原因はたぶん居眠りです。上司がはっきり言わないので本当のことはわかりません。

警察には、マンホールでスリップしたと言っているみたいですが、寝ていたので私たちは

何も言えません。。。

 

もう一つは私がシートベルトをしていなかった事。

昔は今ほど規制されていなかったので、きっと付けていなかったんだと思います。

 

で、事故でぶつかった時にフロントガラスを突き破り、腰がダッシュボードに引っかかり

元の位置に戻っていたらしいです。

腰がひかかっていなければ、フロントガラスから車外に飛び出していたことは間違いないです。

 

それからは、シートベルトを後ろの席でも付けます。

寝ることはトラウマで出来なくなりました。疲れていてウトウトすると、「ドーーン」と

聞こえたりします。

20年経った今でもです。なるべく疲れた状態で運転や助手席に乗ることはやめました。

後ろの子供も小さな頃からシートベルトをせずに乗ったことはありません。

いつどこで事故が起こるかわかりませんので。

 

みなさんもシートベルト全席必ずつけるようにしてくださいね。

 

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